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   本明寺は、浄土宗阿弥陀寺の末寺。本尊は、釈迦三尊像をお祀りしています。毎年、2月15日
には、伝来の涅槃図(かなり痛んでいる)を掲げ、涅槃講の方々による涅槃さんを
おつとめします。              

★ 史跡本明寺について 
 蘇我馬子の邸宅のひとつは、石川池(剣池)を望む現在の橿原市石川町にあったとされている。
その石川精舎あとは、その当時、日本の勢力を掌握していた豪族、蘇我氏の邸宅、現在の石川町にあったとされる。ときの天皇、欣明天皇様が、当時、朝鮮高麗より仏教伝来と同じく贈られた弥陀三尊佛を日本で初めて奉られたとされる日本最古の精舎、石川精舎。その後、蘇我氏と物部氏の勢力の争いに巻き込まれ、その弥陀三尊佛は、物部氏の手により川に投げ込まれ、近くを通りかかった商人、善光によりひろい揚げられとされる弥陀三尊像は、今の長野の善光寺にお祀りされているが、元は、今の橿原市石川町本明寺の処にあった。その石川精舎の跡地にたてられたのが、現在の本明寺である。今でも本明寺の本堂の南側にふっくらとした、小山が残り その上には、大きな楠が生えているが、
何か発掘をしたいと思う心に駆り立てられる。また、本明寺には、大和 7大五輪塔に数えられる   2、30メートルの五輪塔があり、南北朝時代に、この地で活躍した、越智一族の追善供養の犠ではないかといわれてる。現在でもこの五輪塔は、古来より石川町に住まわれる人々によって花、線香の供養をされ護持されている。また、この本明寺は、石川町の高台に位置しておりこの五輪塔適しに 金剛、葛城山系に沈んでいくタ障がとても美しく、極楽浄土の思いを感じさせられる。
 
【信州信濃の善光寺の縁起は 本明寺から始まる】

 その昔、天竺(インド)のこと。娘の如是姫の病気を阿弥陀如来に救ってもらった月蓋長者は、それまでの不信心を改心し、深く仏教に帰依。如来の姿をこの世にとどめ、終生お仕えしたいという長者の願いに応じて、釈尊と阿弥陀如来は竜宮の閻浮檀金によって阿弥陀如来と寸分違わぬ姿の一光三尊阿弥陀如来を出現させました。

長者が亡くなった後、この如来は百済に渡り、さらに仏教伝来とともに聖明王より日本に献じられました。仏教伝来の初の地、石川に石川精舎を造り弥陀三尊像をお祀りされました。しかしながら、仏教を日本に受け入れるか否かの争いの中、阿弥陀三尊増は、物部氏によって難波の堀江(今の飛鳥川の堀江)に捨てられてしまわれます。

ある時、信濃の住人本田善光が堀江を通りかかると、如来に呼び止められます。「おまえは天竺の月蓋長者、百済の聖明王の生まれ変わりである」。すべてを悟った善光は如来を背負って故郷へ持ち帰り、自宅に手厚くお祀りしたのが善光寺の始まりであると語られています。

 遠くとも一度は詣れ本明寺
                              ほんと、何もないですが、夕日はきれいですよ。
                                              西方極楽浄土 なむあみだぶつ
 
平成、7,8年ぐらいに台風7号が珍しく奈良明日香地方をとおりその時に建て替えをした本堂です。何となく、偶然とは思いますが、小さいですが、かたちは、
長野の善光寺に似てませんか。